2025.03.08
我々12期生は昭和39年卒業時31名であった。今年(2025年)1月現在、20名が無事生きながらえている。同窓会は、関西地区、中京地区、関東地区、広島地区の持ち回りで、ほぼ2年ごとに開催してきた。近々では、昨年(2024年11月)、広島地区担当で同窓会を開いた。今回はくしくも卒業後60周年記念でもあった。参加者は、関東地区からが最も多く、合計10名が参加した。 JR広島駅新幹線出口で一同集まり、再会で互いの健康を確認しあった。一同、先ず「メイプル―プバス」で広島城(別名 鯉城(りじょう))へ。内堀を渡り、被爆後復元された5層の立派な天守閣頂上までフーフー言って登る。上天気のため、広島市内が一望に望まれた。ゆっくりと急階段を降りて、途中の歴史展示や古い武具を休み休み見て、戦国時代の話自慢を語り合い、兜の試着場ではその重さから当時の体力をまた、また聞き話自慢。そののち、原爆ドームをぐるっと回りながら散策。改めて原爆の威力を思い知らされた。元安桟橋から、チャーターのリバークルーズ船に乗り込み、本川(旧太田川)とその支流を市内観光した。天気が良く、川から見た原爆ドームがひときわ大きく見えた。広島の方はめったにこのクルーズ船に乗ったことがないとか。下船後、広島市文化交流会館のホテルへと杖を突くものとゆっくり歩く。


その晩は、相部君の落語を一席聞いて、宴会が始まった。乾杯後、皆しゃべり足りないのか、元気な声でにぎやかに近況報告会。翌朝、ホテルを出て、広島平和記念資料館へ。何度か来たことがあったが、資料の配置がかなり変えられたので、何度見ても、原爆の悲惨さで声も出ず、その感動は変わらない。G7サミットで各国の要人が並んで見たであろう風景を渡り廊下から望み、平和をかみしめた。
再度バスでJR広島駅へ。最後に、広島風お好み焼について何段階かの作り方講習を受けて、それぞれが焼き上げて食事になった。豪華コースであったため、大変美味で広島焼を堪能した。店からお土産をもらって、新幹線口で解散した。次回2年後は、関東地区担当と約束して解散した。(文責:椿野晴繁、写真:吉川紀昭)
